比較文化 2010 10 3
比較文化というと、
たとえば、日本社会とアメリカ社会を比べて、
どのような違いがあるかということの研究でしょうか。
しかし、将来は、惑星間の文明を比べて、
どこが優れていて、どこが劣っているかを研究するようになるでしょう。
なかなか自分たちの星の欠点は、気づきにくいものです。
他の星と比較することで、自分たちの長所・短所がわかってくると思います。
これが、地球の進化に役に立つならば、
積極的に受け入れざるを得なくなるでしょう。
さて、宇宙人との遭遇が多くなると、民法上の問題が発生するかもしれません。
ある星では、所有権の概念が違うと思います。
人工的に作ったものならば、その人に所有権がありますが、
自然(天然)のものは、みんなのものという発想です。
だから、ある宇宙人から見れば、
畑に生えているものは、自然のものと考えるかもしれません。
(地球の民法では、これは、畑の所有者のものです)
微妙なのは、畑(牧場)にいる牛です。
彼らは、「これは、人工のものか、自然のものか」、迷うかもしれません。
もちろん、管理の厳しい日本では、紛失事件は発生しませんが、
几帳面に管理することが苦手な国があります。
そういう国は、注意が必要でしょう。
金と銀 2010 10 3
もう少し大きな話をしましょう。
たとえば、高度に科学技術が発展している星(惑星)があるとします。
その星の人たちは、「われわれの科学技術は、この宇宙で最高度に発展しているが、
意外にも評価が低い。なぜなのか」という不満を持っているでしょう。
確かに、科学技術は、宇宙でトップレベルであることは間違いないでしょう。
しかし、「その文明に、芸術性は、あるのでしょうか」ということが問題になります。
もし、その星に、芸術性(精神性の高さ)もあれば、
確かに「最高度に発展した星」という評価になったでしょう。
宇宙を支配する法則は、進歩と調和です。
科学と宗教 2010 4 4
今後、アメリカにおいて、
宇宙人及びUFOとの遭遇が多くなるかもしれません。
その時、多くのアメリカ人は、重大な過ちを犯すでしょう。
それは、「科学技術を神だ」と思ってしまうことです。
ましてや「宇宙人を神だ」と思うのは、重大な過ちです。
しかし、よくよく思い出して欲しいのです。
イエスキリストの時代には、科学技術はなかったのです。
当然、イエスキリスト自身も、科学技術を知らなかったでしょう。
それでも、現代において、
イエスキリストを尊敬する人たちは、数十億人でしょう。
あれから2000年。
2000年も経っても、イエスキリストは輝き続けているのです。
人間の偉大さを決めるのは、
科学技術の高低ではなく、精神性の高さです。